忍者とは?
忍者の起源は、山岳地帯で修業をする修験道の山伏たちという説が有力。
超人的な身のこなしや薬草、天分の知恵など山伏と忍者の共通点は教多くある。
しかし、忍者は領主や大名に仕え、戦いを有利に導く謀報活動をしていたのが山伏との決定的な違いである。
武士階級が台頭してきた鎌倉時代から江戸時代のいわゆる戦国時代、戦国大名たちは、情報を集め戦いを助ける「忍び」を重用したため忍者が一番活躍した時代となった。
敵方の情報を集めるためにありとあらゆる技や術を使い城に侵入したり、時には変装をして正体を隠し、嘘の情報を流して敵を混乱させたりと様々な手段を用いた。
なんとしても生き抜いて戻ってこなければならない忍者は、日々の厳しい鍛錬により多くの知識と高度な運動能カを持ち、どんな状況にも動じない不動心や臨機応変に対応する柔軟な精神力を身に着けていた。
忍者と言われた人々
役 小角
えんの おづぬ飛鳥時代、日本独自の山岳信仰である修験道をつくった人。呪術の名人でもあり、のちの忍術に影響を与えたと言われています。
源 義経
みなもとの よしつね船を次から次へと渡る「八艘とび」をはじめ、人の目をあざむく変装術など、まるで忍者のような活躍で知られています。
楠木 正成
くすのき まさしげ南北朝時代の武将、正成には伊賀忍者四八人が仕えていたそうです。楠木流忍術の書物も残されています。
風魔 小太郎
ふうま こたろう戦国時代、小田原北条氏に仕えた風魔忍者の頭領。箱根足柄山中の出身と言われ、謎の多い人物です。
石川 五右衛門
いしかわ ごえもん安土桃山時代。天下の大泥棒、五右衛門は伊賀流忍術の名人である百地三太夫の弟子であったそうです。
服部 半蔵
はっとり はんぞう徳川家康に仕えた有名な伊賀の忍者。今も残る半蔵門は、半蔵がまもったことからつけられた地名です。
松尾 芭蕉
まつお ばしょう芭蕉は、「奥の細道」で長い距離を一日で歩いたり、また伊賀の出身であることから、実は忍者では、との噂があります。